研究の進め方
これからみなさんは,自分で研究テーマを見つけ,仲間と議論し,自らの価値観を練り上げていくトレーニングを受けることになります。トレーニングに先立って,物事を考える技術,議論のマナー,具体的な研究の設計について解説します。
思考の三大技術
自分のいやがることを進んでせよ
有名な社会心理学者であるHeiderは,バランス理論を提唱したことで知られています。 バランス理論とは,認知的要素が均衡している状態は心地よく,不均衡な状態は変化への動因をもたらすことを人間の根本的な仮定と考えています。均衡している状態とはすなわち,論理的に筋が通っていてわかりやすい状態であり,考えるのに苦労せずに受け入れられる状態です。均衡状態は心理的安定をもたらしますので,変化を求めません。不安定な要素があるように見えても,なるべく安定なままでいたいと思い込もうとさえします。つまり,人間は基本的にわかったふりをしようとする生き物なのです。もちろん,わかったふりをし続けても本当にわかったことにはなりませんし,変化を恐れていると成長はなく,内にこもって自分はわかっていると頑固に思い込むようになっていきます。科学とはコミュニケーションですから,こうしたコミュニケーションを遮断するような精神は,研究遂行上はもっとも不適切な態度です。
ではどうするか。自分で自分のことを疑い,自分がおもしろいと思ったことではなく,面白くないと思ったことに手を伸ばすように,わざと行動を変えることです。不安定は成長の準備状態ですから,不愉快な状態になればなるほど,それを超えてより良い状態に変わろうとします。均衡状態を回復したいという,人間そもそもが持っている動因の力を借りて成長するのです。また,心掛けでは変わらないことに注意が必要です。なぜなら,心こそが変化を恐れる根本的な敵なのですから。むしろ心の自由度を奪うべく,行動の方を先に変えてしまうのです。
私の学生の頃の指導教員が語ってくれたことですが,師は貧乏な学生時代に自らの研究関心と違う雑誌の年間定期購読に申し込んでいたそうです。なけなしのお金を注ぎ込んだ雑誌が,否応なく毎月届くので,もったいないので隅から隅まで読んで自らの行為を正当化しようとし,そのぶん知識が増えてよかったと言っていました。私もそれに倣って,学生時代に友人らにお金を預け,書店で俺のために俺が読みたくなさそうな本を買ってくれ,ということをしたことがあります。彼らは「イルカが知りたい」という本を買ってきました。私は決してイルカのことを知りたくはなかったのですが,悔しいのでしっかり読んで,その後自分の論文の中で引用しさえしました。これがいい例かどうかはわかりませんが,そういったことでもしなければ,人間は成長しないのです。もちろん読みたい本を読むことも大事ですが,読みたい本はどうせなんとしても読むでしょうから。
小杉ゼミの意思決定ルールとして少数決を採用する場合があります。星新一のショート・ショートから得た手法で,多数決の逆です。たとえばゼミ旅行に行くときに(前職ではゼミ生の数も少なく,卒業生と3月頃に旅行に行くことが慣例でした),行き先を少数決で決めます。みんなが行きたいところには行けず,行きたいとは思えないところに行くので,そのぶん道中の話題や空き時間の活用などに,多くの配慮をすることになります。結果的に盛り上がる旅行になるという仕掛けです。
このような工夫をしてもまだ,自分の壁を越えることはできません。すなわち,自分で思いつかないことは否定のしようもないのです。アイデアに飢えている時に,このような狭い世界で乏しい発想力しかなければ,どうしようもありません。ですから,少しでも思いついたことがあれば,やりたくないことであっても(むしろやりたくないことであればこそ),やるべきです。思いついたら負けで,嫌なことでも思いついちゃったらやらなければならない,というぐらいの精神でいきましょう。
極端から極端へのパン
海に浮かぶ船に,陸から大砲を構えて命中させるためにはどうすればよいか,ご存じですか。
まずは目測で撃ちます。当然それですぐに命中とはならないでしょう。たとえばここで,船の手前に大きな水飛沫が上がったとします。問題は次の一手です。
今度はもう少し奥の方に,と少し角度を上げて打つのは得策ではありません。その方針でいくと,二発目が外れた時にさらに少し近づけて三発目,さらに近づけて四発目,と次々トライしていかなければならないからです。 そうではなく,二発目は船を大きく越えるように打つのが正解です。そうすると今度は,一発目と二発目の間に入ることは確実ですので,相対的に角度を調節して三発目には当てることができます。
このことと同じように,物事を考えるときは「逆の極端」を考えるべきなのです。たとえばLGBTQなどマイノリティへの配慮が求められる昨今ですが,マイノリティを崇めるほど尊ぶ社会になったらどういう文化,どういう価値,風習が発生するでしょうか?おそらく極端すぎるものはなんであれ,適切で許容できるようなものではなく,息苦しく否定したいものになるでしょう。それと現状,あるいはそれと過去の状況とを比べて,どの程度であれば望ましいのかをはじめて見積もることができるのです。そのために,過去のことを知るなどして知識を広く集め,真逆の世界を想像できる程度に思いつきを重視するような訓練を,日々重ねておく必要があります。上で述べたように,自分の想像力など,高が知れているのです。
考えるだけであればお金もかかりませんし,心の内側については自由が認められていますから,エログロ,ナンセンス,非倫理的なものについても嫌がらずに考えることが重要です。事実は小説よりも奇なりといいますが,ある人間が想像することよりも,はるかに実際の人間の行為の方がおかしなことが少なくないのです。自分は少し変わっていると自認するのも得手して思い込みで,その程度のおかしさは世界中そこかしこに存在します。それより怖いのは,まったく想像すらできない発想がこの世の中にあるということであり,それに気づかない・気づこうとしないのは残念なことでしかありません。自らの心を自由に解き放ち,あらゆる可能性を考えてこそ,常識的な中庸のことがわかるのです。
また極端の方向性として,プラスの方向の逆,マイナスの方向だけを考えるのではなく,実数に対する虚数軸のように現実と垂直な方向性,あるいは実社会とねじれの位置にあるような方向性を考えることができれば尚いいでしょう。 たとえば,「この公園では球技禁止です」と書いてあれば「じゃあフリスビーは可能なのね」と考えましょう。表層的に書かれていることを理解し(球技は禁止されている),その背後にあるであろうロジックを理解して展開する(球技は本当は禁止されていない?なぜ禁止する必要がある?球技でなければよい?球技とは何でどこまで含まれるか?球とはなにか?)ことで,世の中と対峙することがはじめて可能になります。シニカルに「馬鹿馬鹿しいから守らない,俺は球技をするぜ」という態度は下策で罪と罰しか生みませんが,「じゃあこれならいいよね」という態度は前向きで愛と笑いに満ちています。
メタファーは景気良く
何かを考えるときに,少しずつロジックを進めていくことも重要ですが,それよりも理路整然とした・一貫した・安定した世界を望む心のメカニズムの力を借りて,遠くのゴールに一足飛びに行くことも戦略としては有用です。
すなわち,突拍子もないことをまず考えて,それが成立するためにはどういうロジックが必要かという順番に考えるのです。 アイデア発生の原則は,何十冊と本を書いたI.アシモフや,アシモフを尊敬する星新一が言うように,「異質なもの同士を結びつけよ」です。新しい考え方と古い考え方,短期的な目標と長期的な目標,個人の利益と全体の利益のように,思考をある軸の極端から極端へ振りながら考えていくべきです。
余談ですが,会議等で自分のアイデアを通したい場合,極端に良い理想論,最低限しか保証しない下策を同時に考えて,自らの中庸的なアイデアを真ん中に置いておくとうまくいくことがあります。レストランで食事する時も,特上,上,並とあったら,上ぐらいがちょうどいいように思いますからね。そうしたアイデアを出すために,常に極端なことを考えること,そのためには景気良くメタファーを打ち出すといいでしょう。メタファーとは喩えという意味ですが,「XXXは富士山みたいなものだよ」(富士山でもなんでもいいんです,文脈に沿っていなければ)と言ってから,なぜその理屈が通じるのかを後で考える。一見奇妙なやり方に見えますが,凝り固まった考え方を打破するためには有効です。
生成AIとのつきあいかた
使うべきだが,使われるべきではない
2023年秋頃に一般公開され,爆発的にその利用が広まっている生成AI(chatGPT, Claude, Gemini, DeepSeek)は非常に便利なもので,これからの学生生活・研究活動をする上で利用しない手はありません。私自身,プログラミングや事務書類作成の際はよく利用していますし,使わない時代に戻りたいとは思いません。 ただし,よく知られていることですが生成AIは完璧ではなく,問題が含まれていますので,そこに注意を払いながら利用していきましょう。
先日Xのポストで「上手いこと言うなあ」と思った言葉がありますので引用しておきます(2025年2月3日のポスト)
ChatGPTに「答えを求める」のは初心者。 ChatGPTに「情報を整理させる」のは中級者。 ChatGPTで「自分の考えを整理する」のは上級者。
ここでの”ChatGPT”は生成AI全体に言い換えてもいいでしょう。
生成AIはハルシネーションをおこす
生成AIのよく知られている問題は,ハルシネーションです。すなわち,間違えた答えをシレッと答えてくる,その間違いに気づかない,誤認や論理の矛盾を含む事象や事実とは異なる情報を作り出してしまう現象のことです。
生成AIは膨大なテキスト情報をもとに「表面的にうまく会話する」ことを目的にしたものであり,AIの中で考えたり感じたりしているものではありません(もっとも,こころ,知能,考えるとは何か,ということの定義次第ではあります。現状,生成AIが心を持っていると言っても良いかもしれません。かつてペットロボットが世に出た時に,心があると思った人も少なくないでしょう?)。ですから,学習のソースになっているもの(多くはインターネット上のテキスト)が真実でない場合でもその判断ができません。
さらに生成AIは「表面的にうまく会話する」ことだけが目的ですから,間違いを指摘しても悪びれることがありません。すぐに次の「それっぽい答え」を返してきます。自分の中で一貫性がなければならない,というような意識や,間違えると恥ずかしいといった感情がないからです。これは利点でもあり,こちらが生成AIに何度同じ質問をしてもイラつかないし,感情的な言葉も冷静に丁寧に受け止めてもらえることにもつながっています。長所と短所は表裏一体なのです。
この生成AIの目的を理解すると,初心者の使い方,即ち「答えを求める」のが危険だと言うことは想像がつくでしょう。決して求めるな,とは言いませんが,答えを求めるときはこちらが正解を知っている,少なくとも目的を明確にしていることが重要です。
例えば「データから折れ線グラフを書きたい。横軸は時間軸で,縦軸はデータの個数」といったゴールがイメージできている時に,「Rでデータから折れ線グラフを書きたい。横軸は時間軸で,縦軸はデータの個数だ。ggplotを使ったコードを生成せよ」というと,すらすらと書いてくれます。出来上がった図を見て,自分の思い通りになっているかどうか確認し,できていればそれでいいでしょう。できていなければ,例えば「横軸の時間軸の順序が合っていないことがある。正しく日付け順にして書き直せ」などと追記して,さらに書かせることができます。その結果をまた確認して,という作業になるでしょう。
この用法は,時短になるように見えて,正しいかどうかをチェックしなければならないので,そのことを考えると必ずしも便利な用法ではありません。それでも「皆目見当もつかない!」という時の一助にはなるかもしれませんが。
では中級者の使い方,「情報を整理させる」はどうでしょうか。生成AIは,よく知られえている事実に対する言及だとか,定型文の書き方,一般的な表現・文例を出すことは得意です。また,多くのプログラマが書いている同じようなコード(よくある練習課題)などはよく学習していますから,書き出しなど典型的なパターンは利用するといいでしょう。もしかすると,自分も思いつかなかったいいプログラミング技法が学べるかも。
この場合は,ユーザが答えをわかっているので,生成AIは便利なのです。答えを一瞥してチェックできるとか,細部まで正しく言語化して命令を与えられるのであれば,便利以外の何者でもありません。例えば手紙,会議の議事録などに使うのもいいでしょう。 また,書式を整えるのも得意ですから,データを貼り付けて「csv形式に調えろ」「Rのlist型に調えろ」といった命令を与えるのもいいでしょう。手作業を大幅に減らすことができる使い方は,「むしろどうして使わないのか」の世界です。
最後に上級者の「自分の考えを整理する」のはどういう使い方でしょうか。これは「表面的にうまく会話すること」をフル活用する使い方です。大学において,少人数のゼミ活動,個別指導があるのは,人間は話しながら思いついたり,話しながら考えが整理されることがあるからです。また,他人の心の中は分かりませんから,同じ言葉でも違う意味を込めている可能性があります。有識者はさまざまな言葉の使い方に触れてきているでしょうから,関連する言葉や違う文脈での使い方を想像しながら反応するでしょう。その時に,自らの間違いや,相手に伝わらない表現があることに気づき,言葉と考え方が整理されていくのです。
つまり,教員や学友と対話することがかなり重要なのです。科学の目的がコミュニケーションであることを考えると,当然かもしれません。研究者が学会に出かけるのは,コミュニケーションが目的(自分が外部環境に刺激されて,自分の中で面白いことを思いつく機会を得ることが目的)だからです。自分だけで考えることというのは,存外狭いものであり,臆病な自尊心と尊大な羞恥心(中島敦「山月記」より。青空文庫にあるので,知らない人は読んでおこう)にとらわれていると研究は進まないのです。
ただし,教員や友人が常にそばにいるわけではありません。そこで生成AIを使うのです。自分の考えていることを自分で説明し,生成AIに相槌を打ってもらう。あるいは「こういう意味ですか?」「こういう考えもありますね?」といった反応をもらうことで自分の考えが整理されるのです。テニスの壁打ち練習のような,練習台としての生成AIはとても優秀です。
平たく言うなら,「生成AIは使うべきだが,使われるべきではない」ということです。
生成AIは著作権問題を含むことがある
これはテクニカルな問題ですが,生成AIは大量のデータを取り込んで作られています。その元になったデータが,インターネット上で公開されているものであったとしても,著作権フリーではないものの可能性があります。画像生成AIなどでは特にこの問題が大きいと思いますが,文書でも問題になる可能性があります。
また,自分で投げかけた質問に回答させる場合,投げかける質問,プロンプトに入力するものに個人情報や著作権問題がある文書を渡すと,勝手に学習に利用される可能性があります。生成AIの中には,設定画面で「入力情報を学習に利用させない」オプションが選べるものがありますので,内容によってはそうしたオプションを有効にしておくべきでしょう。
卒業論文のデータなどを渡して「分析して!」というのは,この点からもお勧めしません。回答者の許諾を得ていない情報の利用は認められないからですし,許諾を得たものであっても,今後どのように使われる可能性があるのかは未知数で,我々がハンドリングできないのです(llamaなど,ローカルで構築し利用できる生成AIモデルもあります。これはローカル(自分のPC)で完結するので問題ありませんが,マシンスペックが結構必要だという問題があります)。情報遺漏には特段の注意を払いましょう。
生成AIに人生の一番面白いところを持っていかれる
上記の生成AIの問題は,現時点(2025年2月)での問題であり,今後解消される可能性があります。もし更なる発展の結果,ハルシネーションや著作権の問題がなくなれば,生成AIは使い放題なのでしょうか。
それはもう,間違いなくYesです。ただし,「使われるのではなくて使うのだ」という意識は重要です。 みなさんが大学に来ているのは何のためですか?生成AIに学習の餌を与えるためですか?大学卒という肩書を得るためですか?友達を作るため? 全部を否定はしませんが,大学まできてやるべきこと,大学でしかできないことは,人間として成長することです。主語も述語も大きいので,何も言ってないように思えるかもしれませんが,要するに人生を楽しくするためのもの,人生をより良いものにするための時間と機会の確保が大学の目的です。数年単位ではなく,数十年,ひいては数世代にわたって影響を与える可能性があるような,人格形成の機会を無にしてはいけません。もちろん大学に来なくとも,知識や友人を得て豊かな人生を送ることもできますが,大学という環境はそれをよりやりやすくしてくれる場です。
つまり,知的に楽しむのが大学の目的です。楽しむための時間や経験を過ごすことが重要で,「考える時間」「手を動かして体に覚えさせる時間」「苦労して思い通りのことができた時の快感を得る経験」は自分の内側に生じることです。このことを,生成AIに奪われてはなりません。時間を経ること・経験を積むこと・感情をもつことは,生成AIに任せてはいけないのです。必死に考えて「わかった!」となったときの快楽はすごいもので,これは答えを教わって「ふーん」となることとは比べものになりません。
ゲームのプレイ動画を見て楽しむ,という楽しみ方があることはわかりますが,食事の動画を見ても自分は美味しくないしお腹は膨れないのです。大学で過ごす時間を生成AIにプレイさせてクリアしても,楽しくはないし人生に何の影響も与えません。それでは大学に来る意味がないのですよ。
ちなみに,大学での卒業研究をするということは,そのテーマについて本学の中で最も詳しい人間になることです。大学院に進んで研究をするというのは,そのテーマについて日本の中で,世界の中で最も詳しい人間になるということです。世界の最先端を走るともいえますし,最末端ともいえます。極々微小な違いを自分だけが見出せる,味わえる,という状態になるのです。そうすると当然のことながら,生成AIは役に立たない世界です。すでに述べたように,生成AIは世界のみんながよく知っていることについて,表面的に会話を成立させるだけなのです。研究が進めば,生成AIに問いかけても,その途中段階の適当な答えしか返してこず,(初心者的に)「答えを求める」使い方ができなくなります。むしろ,できなくなるレベルにまでこなければなりません。
これからは,誰にでもかけるような文章は書かなくて良くなります。自分でないとかけない,自分でないとわからないことを書く(書かせる)ことが大学で得られる達成感であり,その一番面白いところを生成AIなんぞに与えてはいけません。
これらの点に注意して,生成AIを楽しく使いこなしましょう。
議論のマナーについて
正しく恥じよ
皆さんは総じて恥ずかしがり屋さんです。できれば,恥ずかしいという感情を捨ててゼミに挑んでもらいたいと思っています。
みなさんはこれまでの学校教育の中で,「変なことを言うとみんなに奇異の目でみられ,いじめられる。恥ずかしい。」ということを過剰なまでに身につけてしまっているのではないでしょうか。これをそのままゼミでのコミュニケーションスタイルにしてしまうのは,良くないことですので注意を促しておきます。
まず,これまでの学校教育における「正解を当てるゲーム」とは違い,大学では「これが正解だと言い張るゲーム」に変わっていることをご承知おきください。小中高では教科書という正解があり,その正解に沿って知識を蓄えることが求められてきましたが,大学ではそうした知識を使って考えること,これからの教科書のコンテンツを考えることが目的です。ですから学術的な問いについて「・・・で合っていますか?」という聞き方は意味がありません。正解なんかないからです。自らの意見を「・・・に決まっている」とするところから始め,「なぜならば・・・だからである」という理屈を通すことに意義があります。同様に議論する上では「なるほど,それが正解なのね。知ってたよ」とわかったふりをすることが一番ムダです。自分はわかったふりをしていないか,と常に問いかけてください。
知識や事実については,正解と不正解が当然あります。「ペリーが1853年に浦賀に来航した」という知識は正しく,「ペリーが1985年に浦賀に来航した」という知識は誤りです。このように,知識には正誤があり,かつその知識を有しているかどうかという意味で,知識を有している方が有利であるような錯覚を覚えます。しかし,知識は調べればわかり,技術は身につければ駆使できることなので,その有無は大した問題ではありません。それよりも,知識に基づいて思いつくこと,前提から飛び出したとんでもない発想の方が重要です。そしてその意味で,他者の存在が重要になってきます。
というのも,他者は自分の世界にない表現や言葉をもたらしてくれる存在だからです。自らの世界にないものをもたらしてくれる人は,誰であっても構いませんし,自らの成長を助けてくれる人であれば利用すればよく,誰しもなんらかの可能性を秘めた他者だからこそ尊重する必要があります。
他者の存在についても,小中高の教育にある枠組みは,大学では適当ではありません。学級の単位で全体の質の向上を目指す場合は,メンバー同士の不均一さは制御しにくい問題点でしかありませんから,「みんなで仲良く」を標語にすることもあるでしょう。 しかし,ゼミの中ではゼミ生同士が仲良くなることを目的としてはいけません。もちろん結果として仲良くなった,というのを否定するものではありませんが(本当はそうあってほしいと思いますが,仲良くすることの優先順位が一番になることはないのです),仲良くなることが目的ではなく個々人の研究が深まり,知識が広がり,価値観が確立されることがゴールなのです。 ですから,嫌われるかもしれないので参加・発言しないというのは,仲良くなることをゴールにしているという意味で間違いです。あえて言うなら,周囲に嫌われている「かもしれない」と考えるのではなく,嫌われている「に違いない」という仮定を立てて行動する方が社会ではより適応的です。でもそんな個々人の好悪感情は横において,「知りたい,わかりたい」「自分の世界を広げたい」のでゼミに参加するのです。
これを踏まえて,議論の大原則を確認しておきます。研究という場では発言が個人の資質に帰属してはいけません。つまり「ある人が変なことを言った」だから「その人は変な人だ」となるのは間違いです。 人の意見は,その場に出された新しい命題,仮説です。こうも考えられる,このような考え方があり得る,ということの提示であり,その人が常にそう考えている,その人がその意見に賛成している,というわけではないのです。インモラルな,暴力的な,過激な発言であっても一意見,1つの可能性として考慮し,そこを合理的に思考できるようにならなければなりません。
言い換えれば,発言者と発言内容を切り離して考えるようにしてください,ということです。「このようなことを発言したら嫌われる」という間違った思考で,発言が減ることはゼミの生産性を下げるからです。発言しても嫌われないし,あなたの嗜好性と関連付ける(「こんなエロいことを言う小杉は助平だ」と考える)ことがないように注意してください。たとえばLGBTQの心情や社会情勢を考察するとき,そうである必要はないし,そのことを考えているからといって当人がそうだというわけではありません。もちろん仮にそうであっても,意見の中身になんら貴賎はありません。これはディスカッションの基礎的なマナーとして,必ず身につけてください。
質問はとにかく良いこと
みなさんは例の「人前で間違えると恥ずかしい」という感覚と同じ方向性で,「人前で発表するのは恥ずかしい。質問とかしないでほしい。スッと終わらせたい」と思うかもしれませんが,この世界ではそれも逆の誤った認知です。 良い研究発表とは,質疑応答が終わらないほど色々な意見が出る発表のことです。発表内容を材料にして燃え上がる炎のように,次々と意見,質問,提案が出てくると大成功です。 逆によくない発表は,発表後に誰もその内容に触れず,質問もでず,議論も盛り上がらないことです。その状態は,オーディエンスに対して刺激がなかった,ごく当たり前のことが示されただけで新しい発見がなかった,説明が不十分で何をやっているのかわからなかった,仮説が説得的でないので話に入れなかった,ということを意味しているからです。
人間は孤独で分かり合えない生き物です。他人と同じことを理解することは原理的に不可能ですが,それでも「心」という目に見えないモデルを仮定してまでその人とインタラクションしたい,というのが心理学者ではないですか。 我々にできることは「互いにわかった気になること」だけです。これは突き詰めると「好きなものは好き,嫌なものは嫌」という理由付けしかできなくなることになります。ただし,そのことと,他者と分かりあいたいという意思は相反しません。分かり合えないことがわかっていても,分かりあいたい我々のツールが言葉でありコミュニケーションで,これを駆使するのが研究者として生きるということです。
研究というものも,本質的には当人が「おもしろいからやってる」だけであり,それ以上の価値や意味は二次的なものです。しかし「勝手にやってるだけなので,誰にも教えない」というのはコミュニケーションを断絶させる方向です。自分のやったことを人前で発表し,自分では思いつかない他人の意見を踏まえると,さらに自分の研究が面白く展開する。だから発表するのであり,臆病な自尊心と尊大な羞恥心で閉じこもっているのであれば山奥で吠えていればいいのです(もちろん中島敦「山月記」のことです。知らなかった人は,青空文庫で読めますので,ぜひ一読してください。科学者の姿勢として学ぶところが多くあります)。
この精神はゼミの研究発表などでも尊重されます。発表者は面白がって発表し,聞いている人も聞いているだけでなく次々と質問をしてあげましょう。質問はとにかく良いことです。そんなことも知らないのかと思われると恥ずかしい,というのは感情が理性を抑制している点でも良くないですし,知らないなら知らないと言い,教えてもらえば同じ土俵で議論できるではないですか。また,よくわからないなと思ったところは,往々にして他の人も同じようなことを思っています。そして他の人も聞こうかな,どうしようかなと逡巡していることが多いのです。「裸の王様」という寓話がありますが(専門的には多元的無知といいます),大学で質問が出ないシーンというのもあれと同じ状況です。みんなおかしいと思っているのに,おかしいと思っていることが知られたら恥ずかしい,間違っていたら格好わるい,質問するべき状況ではないかもしれない,とみんなが勝手に思い合っているだけで,みんな分かったふりをしている世界ですね。そこで誰かが質問すると「あ,私も同じところが引っかかっていたんだ」「あ,やっぱりこの仮定はおかしいんだ」という共感を引き起こし,また「質問するべき場所なのだ」ということが再確認されます。結果的に質問しやすい雰囲気を作り,質問が質問を呼ぶ,コミュニケーションが盛り上がることになります。
「そんなことも知らないのか」というセリフは,相手を辱めるために発せられたのであれば,理性ではなく感情に対する評価ですから研究業界では無価値ですし,ハラスメントで良くないことです。しかし知識の有無を確認するための問い(事実確認)かもしれません。そうであれば,「はい,知りません」と答えればよいでしょう。その問いを発する人の,表現力の乏しさ,言葉が悪いだけで人が悪いわけではない,と考えれば良いのです。 このように,意見と感情は区別しましょう。嫌いな人が正しいことを言っている場合,嫌いだから考慮しないというのは,学術的に無益です。また,好かれるために間違えた意見を言うというのは,学術的には不誠実です。好きな人にも嫌いな人にも,(理屈という)筋を通すのが大切です。
日常生活は非常にウェット=情緒的で,互いの気分を害さないことを目的とした関係調整的会話から構成されることが多いですが,ゼミの中では情緒的な単語や表現はいったん横に置いておく必要があります。そういう意味で,研究的コミュニケーションは厳しいですし,共感性を欠いていると思われるかもしれませんが,そもそも評価次元が違う,コミュニケーションというゲームの種類が違うことに注意してください。
アカデミックハラスメントについて
こうした議論のマナーは,教員と学生の関係においても適用されます。 教員と学生の関係は,権力の上下関係(評価する側とされる側),知識の上下関係(知識がある側とない側)という非対称関係があるため,ともすればハラスメント問題にもなりかねません。 ここでは教員との関係について,いくつか確認しておきます。私自身が教員側ですので,すでに第三者的な記述がしにくいところではありますが,ゼミ運営の方針として重要な点も含みますので,注意深く読んでいただければと思います。
まずハラスメントに関してですが,harassmentの意味が「いやがらせ」であることに注意してください。 セクハラ,パワハラ,アルハラ,アカハラなどさまざまなハラスメントがありますが,嫌がらせるために行われるものはすべて認められません。 性的なことを言って相手が困る様を楽しむとか,無理やりお酒を飲ませて自我が崩壊するのを見て楽しむとか,無理な量の課題をだして泣き出すのを見て楽しむといったことは,すべて嫌がらせであり,よくない人間関係です。みなさんはこうした事例があればすぐに,学生相談室をはじめとして他者に助けを求め,キッチリと落とし前をつけてもらいましょう。
難しいのは,ハラスメントする側が嫌がらせる意図がなかった,というとき,あるいは相手にその意図はなくても不快に感じたとき,です。セクハラやアルハラは,身体的な接触やアルコールを媒介とするといった客観的に判断するヒントが多くありますが,パワハラは権力,アカハラは専門性という目に見えない基準に基づきますので,難しくなりがちです。この場合は第三者による中立な調査を経て,適切かどうかの判定をする必要があります。教員側が課題や指示を出すときは,「この分量ならできるだろう」あるいは「この水準に達していないと次の段階に到達しない」という専門的判断のもとに行われているはずです。教員はその専門性に基づいて指導や評価をする資格を認められていますから,専門性の程度が低い学生さんの側が「これは過剰な課題であり,指導ではなく嫌がらせである」と感じた判断が正しいかどうかはわからないでしょう。そのための第三者機関がありますので,積極的に活用してください。ハラスメント委員会の審査は丁寧かつ慎重に行われますので,どうしても時間がかかりますが,中立的に判断できるよう様々な工夫もされています。もっとも,被害者側は適切な判断ができないほど精神的に追い込まれていることも多々ありますので,少しでもオカシイと思ったらすぐに助けを求めればいいでしょう。また,被害者本人が申し出にくいことがあれば,友人知人が代わりに申告することも可能です。
ミスコミュニケーションの例
ハラスメント問題の多くは,コミュニケーションのエラーであり,ラポール(信頼関係)が十分できていないことや,表現上のミスに起因します。ここではミスコミュニケーションのよくある例について,経験をもとに紹介していきます。
大学教員が「どうして?」と聞くのは「どうしてそのようにその間違えた答えに到達したか」という意味ではありません。みなさんは子供の頃から,多分に教育的な文脈で「どうして?」と聞かれることがあったかと思います。その時は原因を尋ねるような形式ではあるものの,「悪いことだという分別がついていたか」という確認の意味で発せられていることが多く,その都度受け取り手は「悪いことだと分かっていた。反省している」と回答するのが良いことだと学びます。「どうして」が「間違えた・不適切だった」のシグナルになってしまっているのです。
ですが,みなさんはもう大人なので,字義通りの意味を解釈してくれれば結構です。研究の世界では正解がまだないことを対象にしますので,「どうして?」という問いは,「なぜそれが成立すると考えられるのか理由を教えてください」という意味です。 どうしてこういう命題が成立するのか,という疑問は前提となる仮説や結論に至るまでのロジックがどうなっているのか,について不明確であるということであり,その考え方が間違えているとかその意見が不適切であるという評価ではありません。また,意見と感情を分離するという原則も忘れないでください。どうして,と聞くのは答えられない様をみて楽しもうというものでもなく,他の人の前で恥をかかせてやろうというものでもなく,ましてや「あなたのことが嫌いだ(から嫌がらせをしている)」というものではないのです。深読みして勝手に傷つかないでください(新聞沙汰になるようなアカハラ案件では,明らかに人格の否定や情緒的な評価,人前での侮蔑などの意図が入っているので第三者的にも明らかにアウトだとわかります。なんでも嫌だと思ったら客観的にもハラスメントとして成立する,というものではありません)。
あるいは教員の方から,現状を把握するための質問がなされることがあります。「この一週間なにをしていたの」,「卒論の進捗はどうなっているの」というような質問です。これも感情や態度と連動しない,事実確認・認知的な内容であり,こうした問いに対して「すみません」と謝られても,こちらは困ってしまいます。何をしていたのか,というのは何をしていたのか,という確認です。その目的は,現状の進捗の程度を把握し,思考の筋道を辿り,今後に向けて計画を立て,方針を提示することにあります。大学教員は指導するのが仕事で,指導とはみなさんが一定の期間内に成果を出せるように,具体的にいえば4年次の12月に卒論を提出できるような状態にすることです。研究計画の立案,研究の実践,分析や執筆がどこまで進んでいるかを知らないと,次にどうしようかという指示がだせないのです。過去を振り返って,「この一週間遊んでいたのであれば,あなたは怠け者であり,そういう態度は好ましくないので指導したくない」というのではなくて(指導しないことは,教育の機会を一方的に奪うアカデミックハラスメントに該当します),「研究が進んでいないのであれば現状はどうなっているか,結果を出すまでにどれほど時間が残されていて,能力と課題の難易度から考えるとこのように研究計画を組み立てれば間に合うか」を話し合いたいのです。繰り返しになりますが,好悪の感情や受容的・拒否的態度と思考の連合をしないトレーニングをするのが大学やゼミという場です。
さてここで小杉個人の資質として,大阪弁話者であることと,1976年生まれである(平たく言えばオッサンである)という事実もご承知おきいただければと思います。すなわち,上記の質問に関する表現が「なんでやねん」,「なにしてたん」,「どないなっとんねん」という口調であり,これは非関西弁話者にとっては詰問・怒号のように聞こえることがあるようです。よろしければ,大阪弁の表現だな,と思われるところは差し引いて評価していただき,「なんでやねん!」を「どうしてですか」に頭の中で変換して受け止めていただきたくお願い申し上げます。言葉の強さ,声の大きさと意見の正しさは無関係ですから,切り分けていただけると大変助かります(こちらももちろん,不快感を与えたり威圧的にならないように配慮しているつもりですが,うまくいかないことも少なくありません)。
次に知識の上下関係について説明しておきます。 すでに述べたように,知識は正誤が明確なものもあり,その知識の量は教員と学生では非対称的です。ですが,知識については必要であれば時間をかけ取得・習得すれば埋まります。そこを急いだりショートカットしたりはできません。知識や技能の取得・習得は,本人がその時間を費やすことでしか到達しないので,だれかが代行してあげられないのです。教員としては,その習得の比較的楽なルートや取得のコツを教えることはできますが,学ぶのはみなさん自身です。教員は学生を「水飲み場まで連れて行ってやることはできるが飲ませることはできない」のです。ですから,教員側から示された課題や習得のルートは,みなさん自身で対応してください。これらをまったく対応することなく,すなわち学ぼうとせずに単位や卒業という結果を欲しがるのは,学生から教員側へのハラスメントであるともいえます。
教員はみなさんより先に生まれている分,知識とノウハウを持っていますので,それをしっかり利用してください。また,学んだことはなるべく広く仲間と共有してください。その方が「自分と同じ話題,同じレベルで刺激しあえる」ため,自らが成長するチャンスにつながるのです。 学んだ知識や技術を使ってあなたが思いつくことは,あなたの才能であり能力です。ひいては,そうした知識・技術を持っている人にアクセスできることが,あなたの才能であり能力です。知識のコピーは原本が劣化しないものですから,他人に奪われるとか,もっている人がずるい,という性質のものではありません。欲しければ自らも手に入れれば良いだけです。
さて教員は知識とノウハウを持っている,といいましたが,その経験は生まれてから今までに積み重ねてきたものです。みなさんと同じ時代を生きているという意味で,時代の重複期間はありますが,その期間をどのライフステージで過ごしたかが違いますから,解釈はきっと異なります。たとえば最新のポップカルチャー(音楽,芸術,漫画やアニメなど)は私よりみなさんの方が詳しいでしょう。電子機器の使い方やSNSでの話題,ひいてはマナーや価値基準についての理解も異なるはずです。つまり,領域によっては知識の非対称性が逆転している(学生>教員)ところが少なくありません。私は「かつてこういう理論があった。当時の社会背景はこうだった」という情報は提供できますし,みなさんは私に「今はこういう考え方が主流である。私は現代社会をこのように捉えている」という情報を提供してください。このような考え方,受け止め方については一方的な正誤はありませんから,議論する上でも教員が常に正しいと考える必要はありません。むしろ古くて現代的ではないわけですから,疑問や質問をするうえで「自分が間違っているかも」「間違いを指摘されるかも」と考える必要はないのです。まさに今,ここで,学生として,自分がこのように考える,というのはみなさん自身の中にあることですから,常に正解であり,真実です。大事なのは,それを共有しよう,そのために言葉を尽くしましょう,ということです。私も古い知識と経験をもとに,このように考えられる,という理路は説明しますが,その考え方だけが正しく,その考え方にならないと間違いであるということいいたいわけではありません。
最後に言い訳がましいですが,ひとつだけお願いを。皆さんと異なる時代を生きてきた人間として,不適切な発言や現代的でない価値観による失言などが出てくる可能性があります。みなさんにおかれましては,寛大な心で間違いをご指摘いただき,訂正と謝罪の機会を与えていただければ深甚です。
研究計画立案の3つのアプローチ
卒業研究のテーマを決めるにあたって,どこから手をつければよいのか迷うことがあると思います。ここでは,研究計画を立てる際の3つの異なるアプローチを紹介します。どのアプローチから始めても構いませんし,複数のアプローチを組み合わせることもできます。自分に合った方法を見つけてください。
データドリブン型:データから問いを見つける
このアプローチは,「このデータを使って何か面白いことを見つけたい」という発想から始まります。すでに存在する大規模なデータセットや興味深いデータを入手し,そこから探索的に研究テーマを見つけていく方法です。
小杉ゼミでは,以下のようなデータセットを利用できます:
契約データベース
- Rakuten購買行動データ
- Cookpadレシピデータ
- 不満買取センターの不満データ
コンペティションデータ
- NRIデータ解析コンペ(購買行動,購買意欲,新聞・雑誌等への広告出稿データなど)
公開・スクレイピングデータ
- 競馬データ(馬の情報,勝率など)
- 野球選手成績データ
- その他,興味に応じてWebスクレイピングで収集可能なデータ
過去の卒論では,M-1漫才スコアの分析や,ディズニーランドのアトラクション待ち時間の分析などがあります。データを眺めていて「面白そうな問い」を見つけることができれば,ベイズモデリングなどの手法を用いた探索的分析によって,新しい知見を得ることができます。
このアプローチの利点は,データがすでに存在するため,データ収集の手間が省けることです。また,大規模なデータセットを使えば,通常の調査では得られないような知見が得られる可能性があります。一方で,データの中身を十分に理解し,そこから意味のある問いを見つける能力が求められます。
モデルドリブン型:分析手法から研究を組み立てる
このアプローチは,「この統計モデル・分析手法を使ってみたい」という発想から始まります。講義科目では時間の都合上,深く扱えない高度な分析手法がたくさんあります。そうした手法に興味を持ち,「これを使った分析をしてみたい」と思ったら,そのモデルに適したデータを探索・収集し,卒論計画を立てることができます。
以下は,講義で十分に扱えない分析手法の例です。リストを見て「このモデル名,かっこいい!」「これを使ってみたい!」と思ったものがあれば,ぜひ教員に相談してください。
線形モデル
- 一般線形モデル (General Linear Model; GLM):\(t\)検定や分散分析など,正規分布を仮定した古典的な統計手法
- 一般化線形モデル (Generalized Linear Model; GLM):正規分布以外(ベルヌーイ分布,ポアソン分布など)のデータにも対応できる回帰モデル
- 共分散分析 (Analysis of Covariance; ANCOVA):共変量を統制しながらグループ間の差を検定する手法
- 多変量分散分析 (Multivariate Analysis of Variance; MANOVA):複数の従属変数に対するグループ間の差を同時に検定する手法
- 判別分析 (Discriminant Analysis):複数の説明変数から個体が属する群を判別・分類する手法
- 正準相関分析 (Canonical Correlation Analysis):2組の変数群間の相関関係を最大化する合成変数を見つける手法
- 対応分析 (Correspondence Analysis):クロス集計表のカテゴリ間の関連を低次元空間に可視化する手法
- 一般化線形混合モデル (Generalized Linear Mixed Model; GLMM):反復測定や階層構造を持つデータに対応した一般化線形モデル
- 階層線形モデル (Hierarchical Linear Model; HLM):入れ子構造のデータ(生徒が学校に所属しているなど)を分析するモデル
- 因子分析 (Factor Analysis):観測変数の背後にある潜在因子を探索・検証する手法
- 動的因子分析 (Dynamic Factor Analysis; DFA):時系列データに対する因子分析で,時間を通じた潜在変数の動的な変化を捉える手法
- 主成分分析 (Principal Component Analysis; PCA):多変量データを少数の主成分に縮約し,データ構造を可視化する手法
- 媒介分析 (Mediation Analysis):独立変数が従属変数に影響を与えるメカニズムを媒介変数を通じて検証する手法
- 構造方程式モデリング (Structural Equation Modeling; SEM):潜在変数間の因果関係を推定する包括的なモデリング手法
- マルチレベルSEM (Multilevel SEM; ML-SEM):入れ子構造のデータに対する構造方程式モデリングで,個人レベルと集団レベルの関係を同時に推定する手法
非線形モデル
- ニューラルネットワークモデル (Neural Network Model):脳の神経回路を模した機械学習モデルで,複雑な非線形関係を学習できる
- 決定木・分類木 (Decision Tree / Classification Tree):データを条件分岐によって階層的に分類するモデル
- ランダムフォレスト (Random Forest):多数の決定木を組み合わせて予測精度を高めるアンサンブル学習手法
- 自己組織化マップ (Self-Organizing Map; SOM):高次元データを2次元平面上に可視化するニューラルネットワークの一種
- アソシエーションルール (Association Rules):データ間の相関ルールを発見する手法(「Aを買う人はBも買う」など)
- 階層的クラスター分析 (Hierarchical Cluster Analysis):データを階層的に分類し,樹形図(デンドログラム)で表現する手法
- 非階層的クラスター分析 (Non-hierarchical Cluster Analysis):\(k\)-means法や混合分布モデルなど,予め決めたクラスター数にデータを分類する手法
- ベイジアンネットワーク (Bayesian Network):変数間の確率的依存関係をネットワーク構造で表現するモデル
- サポートベクターマシン (Support Vector Machine; SVM):高次元空間でデータを分類する強力な機械学習手法
- 潜在意味分析 (Latent Semantic Analysis; LSA):テキストデータから潜在的な意味構造を抽出する手法
- 多次元尺度構成法 (Multidimensional Scaling; MDS):対象間の類似度・非類似度データから空間配置を求める手法
- 非対称多次元尺度構成法 (Asymmetric MDS):非対称な類似度データ(AからBとBからAで異なる)に対応したMDS
- 個人差多次元尺度構成法 (Individual Differences Scaling; INDSCAL):個人ごとに異なる知覚空間を推定するMDSの拡張
- 項目反応理論 (Item Response Theory; IRT):テスト項目への反応から潜在的な能力を推定する測定理論
- バイクラスタリング (Biclustering):行と列の両方を同時にクラスタリングする手法
- ネットワーク分析 (Network Analysis; Gaussian Graphical Model; GGM):変数間の条件付き独立性をネットワーク構造として可視化・分析する手法
- コンジョイント分析 (Conjoint Analysis):複数の属性を組み合わせた選択肢から,各属性の効用(重要度)を推定する手法
- 潜在ディリクレ配置法 (Latent Dirichlet Allocation; LDA):文書集合からトピックを自動的に抽出する確率的トピックモデル
- テキストマイニング (Text Mining):自然言語テキストから有用な情報やパターンを抽出する一連の技術
- 遺伝的アルゴリズム (Genetic Algorithm; GA):生物の進化メカニズムを模倣した最適化手法
- 多次元展開法 (Multidimensional Unfolding):個人の選好データから対象と個人を同一空間上に配置し,理想点モデルで選好構造を分析する手法
- 0過剰ポアソン分布モデル (Zero-Inflated Poisson; ZIP):カウントデータに構造的なゼロが過剰に含まれる場合に使用する混合分布モデル
ベイジアンモデリング
ベイズ統計の枠組みを使った推論は,上記の線形・非線形モデルのほとんどに適用可能です。ベイジアンモデリングでは,事前分布と事後分布の考え方を用いて,より柔軟で解釈しやすいモデリングができます。特に以下のような場面で威力を発揮します:
- サンプルサイズが小さい場合
- 階層構造を持つデータの分析
- 事前知識を明示的にモデルに組み込みたい場合
- パラメータの不確実性を確率分布として表現したい場合
ベイジアンモデリングでは,標準的な統計手法の枠にとらわれない柔軟なモデリングが可能です。例えば以下のようなモデルが構築できます:
- 変化点検出モデル:時系列データの中で未知の時点でパラメータが切り替わる状況をモデル化
- 0過剰負の二項分布モデル (Zero-Inflated Negative Binomial; ZINB):構造的ゼロと過分散を同時に扱う混合分布モデル
- 階層ベイズモデル:個人差と集団傾向を同時に推定する多層モデル
- 標識再捕法 (Capture-Recapture):観測されていない母集団サイズを推定する生態学的モデル
- 欠測値を含む相関分析:欠測メカニズムを明示的にモデル化した推定
- 打ち切り・切断データの分析 (Censored/Truncated Data Analysis):測定値が上限・下限で切断される場合を適切に扱うモデル
- BARTモデル (Balloon Analogue Risk Task):風船を膨らませるリスクテイキング課題のデータを分析する認知モデル
- SIMPLEモデル (Scale-Invariant Memory, Perception, and Learning):記憶の検索過程をモデル化した認知モデル
- 多項過程ツリーモデル (Multinomial Processing Tree; MPT):認知過程を階層的な二分岐の決定木として表現するモデル
- 信号検出理論 (Signal Detection Theory; SDT):刺激の検出・弁別における感度と反応バイアスを分離して推定するモデル
- 折線回帰モデル (Piecewise Linear Regression):データの中に変化点が存在する場合に,区間ごとに異なる傾きを持つ回帰直線を当てはめるモデル
- 遅延価値割引モデル (Delay Discounting Model):将来の報酬の主観的価値が遅延に伴って低下する様子をモデル化
- 正規混合分布モデル (Gaussian Mixture Model; GMM):データが複数の正規分布の混合から生成されると仮定するモデルベースのクラスタリング手法
ベイジアンモデリングに興味がある場合は,Stan,JAGS,PyMCなどの確率的プログラミング言語の習得も視野に入れることになります。参考文献として,小杉が作成した教材(https://kosugitti.github.io/PsyStatsPracticals/)も参考にしてください。
このアプローチの利点は,技術的な習得に重点を置けることです。統計モデリングのスキルは,卒業後も様々な場面で活用できる汎用的な能力です。また,モデル名で検索すれば,そのモデルを使った先行研究が見つかりやすく,研究の組み立てがしやすくなります。
一方で,モデルありきで研究を始めると,「なぜそのモデルを使う必要があるのか」という問いへの答えが弱くなりがちです。モデルを適用する意義,そのモデルでなければ明らかにできないことは何か,をしっかり考える必要があります。興味を持ったモデルについては,まず教員に相談してください。
現象ドリブン型:心理学的問いから出発する
このアプローチは,「この心理学的現象を解明したい」という発想から始まります。これは心理学研究の王道であり,最も本質的なアプローチです。自分自身の日常経験や社会現象の中で「なぜこんなことが起こるのだろう?」「人はどのようにしてこのような行動をとるのだろう?」という疑問を持つことから研究が始まります。
研究テーマの例:
- いじめのメカニズム:なぜいじめは起こるのか,どのような心理的メカニズムが働いているのか
- スポーツ選手の状況判断:試合中の瞬時の判断は,どのような認知プロセスによってなされるのか
- 環境要因の影響:音,香り,照明,色などの環境要因が,人の行動や判断にどのような影響を与えるのか
- 対人魅力:どのような人に魅力を感じるのか,その要因は何か
- 説得:どのようなメッセージが人を動かすのか
- 意思決定:人はどのようにして選択をするのか,その合理性と非合理性
- 感情:感情はどのように生起し,行動にどのような影響を与えるのか
このアプローチで研究を進める場合,以下の手順が基本になります:
- 自分の興味関心を明確化する
- その現象に関する先行研究を探索する(文献検索)
- 先行研究を批判的に読み,自分の問いとの接点を見つける
- 追試研究,または先行研究を発展させた研究として計画を立案する
このアプローチの利点は,自分自身の「知りたい」という動機が明確であるため,研究へのモチベーションを維持しやすいことです。また,心理学の本質である「人間理解」に直結した研究になります。
一方で,先行研究が見つからない,あるいは見つかっても自分の問いと完全には一致しない,ということがよくあります。これについては後述の「研究の設計」で詳しく説明します。重要なのは,100%の完全一致は期待せず,60-80%の適合度があれば十分だと考えることです。
どのアプローチを選ぶべきか
3つのアプローチに優劣はありません。自分の興味,得意なこと,将来のキャリアなどを考えて選んでください。また,複数のアプローチを組み合わせることもできます。たとえば:
- 心理学的な問い(現象ドリブン)を,大規模データ(データドリブン)を使って検証する
- 興味のあるモデル(モデルドリブン)を,心理学的に意味のある問い(現象ドリブン)に適用する
- 手元のデータ(データドリブン)に,適切なモデル(モデルドリブン)を当てはめて解釈する
迷ったら,まず教員や先輩に相談してください。ゼミの時間を使って,様々な角度から自分の興味を探索していきましょう。研究テーマを決めることは,それ自体が重要な研究プロセスの一部です。
研究の設計
みなさんは二年間かけて卒業研究を完成させるわけですが,ここでは具体的にどのようにして研究していくか,卒論は何をどのように書くのかについて説明します。
時間の使いかた
まずは二年間の時間の使い方について説明します。みなさんは今まで基礎実験1,基礎実験2を通じてさまざまな実験・研究をやってきたかと思いますが,それらは教員やTAが一定の時間の中でできるように,実験計画や実施方法,分析の手順が準備されていました。激しいスケジュールだったかもしれませんが,それらはいわばジェットコースターのようなもので,乗れば必ずゴールに到達するわけです。
これに対し,卒業研究というのは,企画立案,計画,実行,分析,執筆までを自分の力でやらなければなりません。一般に,全体の仕事量を能力でわったものが必要な時間になり,時間は有限ですから,複雑で込み入った研究や大量のデータを取るような「仕事量が多い」場合は,早めに取り掛からなければ期限に間に合いません。また実験準備の能力が十分に高ければ,複数の実験をこなしても間に合うかもしれませんが,その後の分析能力が弱ければ,そこにかかる時間を長めに見積もる必要があります。 難しいのは,この仕事量と自分の研究能力が未知であること,結果的に時間のコントロールができないことにあります。加えて,就職活動や人付き合いなど課外の「やるべきこと」もありますから,そうしたワーク・ライフ・バランスを適切に保ちつつゴールする必要があります。
教員の仕事はすでに述べたように,こうしたスケジューリングがうまく行けるように見積り,誘導することです。これまでの研究と指導の経験から,ある実験・調査の仕事量と学生の能力を推測し,この学生がこの能力を発揮すればこのペースで研究を進めればいいだろう,ということを指導します。この見積り計算のためには,報告・連絡・相談が重要になります。みなさんの現状がどこにあるのかということを教員がモニタリングすることで,適切な指示や援助ができることになります。ですから,嘘偽りなく,背伸びもしなくていいので,ありのままを随時伝えてください。
この前提から,研究時間の使い方について2つのヒントが示されます。 1つは「数日連続で徹夜すればなんとかなる」といった,一発逆転スケジュールは機能しないということです。随時の連絡が重要で,一気に大量の進捗は生み出せません。徹夜でなんとかする,というのはスケジューリングがうまくできていないというだけで,まったく誉められたことではありません。またプログラミングなどでは顕著ですが,バグをとるための秘訣の1つは「よく眠る」ことにあります。睡眠不足のぼんやりした頭で研究を遂行しても,まったく非効率的なのです。みなさんにお願いしたいのは,よく寝てよく食べることです。寝る,食べるといった基本的生活リズムを崩すことは,効率を悪くするだけです。また徹夜で作業しているとき,深夜に教員に連絡を取っても,即時返答は期待しないでください。ちなみに小杉は21時になったら寝ていると思ってください。また,19時を回ったらほぼ確実に素面ではありません。朝も早くて8時半から仕事開始です。土日はPCを見ないように心がけています。つまり,金曜の夜中に「夜分すみません,XXXのことで・・・」と連絡してきても,月曜の朝まで反応がないことになります。そうなるとホウレンソウがうまく行きませんから,ムダな時間を使うことにもなりかねません。
2つ目は,相談の敷居の問題です。自分で「こんなことで相談していいのだろうか」と悩まないでください。わからないことがあれば,何でも質問してください。わかっていることについて,「これこれこのように理解しました」と報告してください。不思議なもので,私が説明するとその場ではわかった気になるのに,相談から地理的・時間的に離れるとその距離の逆数に比例してわからなさが増してくる,ということがよく観察されます。この現象は学生さんによくあることであり,私も学生のころはそうでした。そのとき「一度説明してもらったので,もう一度質問すると叱られるかも」と思わないでください。何度でも同じことを説明できるのが教員です。またわかっているつもりでも,やっていくうちに,やっぱりわかってなかったと気づくことはよくあることです。これを恥じることも,引け目を感じることも不要です。むしろ成長の証です!「忘却」や「混乱(一度わかったはずなのにわからなくなった)」はどうしても生じますので,その防御策として議事録をとるということが重要です。そして「やっぱり忘れました。あはは」と気軽に連絡してきてください。それに対して,小杉は決して情緒的な反応はしないようトレーニングされていますから安心してください。それよりも,ホウレンソウが途切れることの方が,より怖いことです。
また,足が遠のくと,徐々に相談する敷居が高く感じられるようです。一度でもまだ相談するほどじゃない,と思ってしまうと,「ではどうなれば相談に行くべきか」の判断ができなくなります。結果として思考の隘路で迷走し,行き詰まって相談に行った頃には全く見当違いの方向に進んでいて,かつ残り時間も少ない,ということになりまいます(実際,これまでの指導経験で,所定の期間で卒業できなかったケースが3件あり,いずれもこの「学生が手の届かないところに引きこもって間に合わなくなった」現象でした)。スケジュールがうまく行くようこちらでも考えていますが,さすがに直前になって一文字も書いていません,といわれても間に合わないわけです。「どうしてこんなことになるまで放っておいたんだ」とならないように(この表現は現状の確認というより,叱責の意味で使われていますので,厳密にはハラスメントになります。ネットスラングだと思って,ここでは笑ってください),ちょくちょく報告してください。わからなければ相談,できたところまで報告,今後の予定を協議,が基本です。「こんなことを相談すると叱られるんじゃないかな」という疑念は不要です。叱ってスケジュールが変わるわけではないので,そんなムダなことはしません。自分で考えるべきことであれば,そのように指導します。考えても難しい・わからないことであれば,解説したり理解するのに必要な基礎知識を得られる情報を提供します。
ちなみに,個別面談時は「自分はこのテーマで研究している,前回はこのような指示があって,今ここまできたor今ここで詰まっている」という形で論点を整理しておいていただけると,話がスムーズです。何がいいたいかというと,みなさんにとって相談相手は1人ですが,私はそれぞれ別の案件をかかえており,ゼミ以外の授業でも同様の対応をしないといけませんから,個別の相談内容を記憶にとどめていません。相談相手が誰で,内容が何で,以前どのように指示したかをほぼ忘れていると思っていただいて間違いありませんから,お手数ですが自己紹介からお願いします(ゼミ生の名前を覚えるのにおよそ半年かかり,また休みがあると記憶の忘却が始まります)。
研究の組み立てかた
年間のスケジュールと,先述の個別スケジューリングから,大体の時間的流れは把握できたと思います。では具体的にどのように研究を組み立てればよいでしょうか。
卒論をはじめとして,研究の基本はお手本となる先行研究を見つけることから始まります。 自分の興味のあるテーマで論文検索し,自分の興味関心と合致する論文が見つかれば,その研究を完全に再現するのが研究の第一段階です。卒業研究では,先行研究の追試をオススメします。良い先行研究が見つかると,そこに書いてある手続きにそって準備し,同じ分析方法に限って知識や技術の習得をすればよいので,非常に効率よく研究が組み立てられます。
ここで難しいのは,自分の興味関心と完全一致する先行研究はみつからない,ということです。100%ベストマッチはほぼあり得ないと思っていただいて結構です。60から80%もマッチすれば十分な方で,40-50%で妥協するか,ということもあるでしょう。 うまく該当する先行研究が見つからない理由として,次の3点を挙げておきます。
問いの形式の問題
心理学の問いは「なぜ」ではなく「どのように」です。「why」ではなく「how」をつかって問うことで,具体的に研究できるようになるのです。「なぜ人は浮気をするのか」では研究になりません。浮気をするとはどういうことかを明確にし,浮気をする人としない人をどのように弁別するのか,その操作的定義や測定についてよく考えましょう。何らかの基準で(ex.あなたは浮気をしたことがあるか,という問いにYesとこたえるかどうか),浮気者とそうでない人を区分できたとすると,今度はそれがどういう違いになって現れるのか,を考えるのです。浮気をする人は金遣いが荒いだろうとか,浮気をする人は自己愛傾向が高いのだろう,浮気をする人は自尊心が低いだろう,といった結果変数(アウトカム変数)と共に問いの形式を考えるのです。またAとBは関係があるだろう,というのは問いや仮説としては不十分です。ある人間のやることですから,要因AとBの相関がゼロである,というほうが強い主張です。もちろんAとBが全く異なる概念であれば,そこになんらかの関係があることを示すのは重要です。しかし両者が近すぎると,ごく当たり前の話になってしまいます。約束を守らない人は浮気をする,では疑問になりません。しかし,浮気をする人は恋人以外との約束は守りがち,であれば「なぜそんなことが」「恋人とそれ以外の違いは何か」というおもしろみが出てきます。よりよい研究は,問いが逆説的で「理論的・合理的・一般的に考えるとAのようになるはずだが,実際はBになるのは,Xという要因があるからではないか」といった構造をしていたりします。当たり前でも無関係でもなく,どういう理屈でそれが成立しうるのかが一見してわからない問いは良い問い方ですし,同時にその問いが成立するためにはどのように測定するのか,ということがしっかりと考えられている必要があります。
キーワードの問題
例えば日常的にも「ナルシスト」といった心理的専門用語のような言葉を使って理解することがありますが,専門的にはナルシシズム,自己愛傾向という言葉で扱われます。この日常用語と専門用語が同じだからといって(先の例は「シ」があるかないかで素人かどうかがわかるのですが),同じ現象,同じ概念を指しているとは限らないことに注意してください。学術的な議論というのは,論理的な筋が通っていることが重要です。議論している間に,話のテーマが変わってしまった,違う対象の話にすり替わっていた,ということでは困ります。しっかりと言葉を定義するのは,こうした議論の揺らぎが生じないようにするためです。専門的な意味でのナルシシズムについて研究していたのに,いつの間にか「じぶんがすき」ぐらいの日常的意味合いであるナルシストの話になっていた,というのでは論理が通じないのです。専門的には一言一句,隅々まで注意して言葉を使う必要があります。心理学はスーツケースワードとよばれる,その枠の中に何でも取り込めてしまう魔法の言葉がいっぱいあります。「それはXXXXだね」と専門用語で言われると,何となくわかった気になってしまいます(最近の流行りはHSPなどがそうですね)。自分でも気づかないうちに分かったふりをしてしまっていることもあるわけで,これは厳に慎まなければなりません。すぐに「それは何?」「ちょっと意味が変わってないか?」という疑問を持つようにしましょう。これが研究が見つからない2つ目の理由になるのは,自分が考えていたテーマを適切なキーワードで検索できない原因になるからです。日常用語でAという名称であっても,専門用語のAは違う意味かもしれませんし,Aとよく似ているからということでA’やA†で検索していると,全然関係ない話しか出てこなくなるということがよくあるのです。
概念の中身の問題
第二の問題と共通するところがありますが,自分が興味がある対象Aがなんなのか,ということが明確でない場合があります。これは端的に,Aということを考え尽くしていないことが原因です。たとえば先の「浮気」というキーワードにしても,浮気とは何であるかということを突き詰め,定義できるようになっていないと,「こういうこともあるか・・・そういうケースもあるか・・・」とどんどん考えがまとまらなくなってしまいます。考え尽くせなくなっている理由の一つは,自分の今あるリソースだけで考えているからです。まずは知識・技術・経験がまだ十分足りていない可能性があり,できるだけ多くの資料を読んで,これまでその対象がどのように考えられてきたか,自分のイメージしていた概念Aとどの程度合致し,どこが合致していないかを考える必要があります。また,今考えていることを教員・友人・知人に披瀝して,自分の脳(リソース)以外の観点から多角的に意見をもらうことも重要です。自分のおもいつくことは高が知れているので,他の人とのコミュニケーションを活用しましょう。もし自分が概念Aについてどの程度わかっているのかがわからない場合,その特徴やわかっていることを紙にリストアップするということも重要です。いろいろ多角的に考えているようで,実際にリストアップしてみるとせいぜい両手で数えられる程度の特徴しか挙げられていない,ということがあります。書いて,記録したものを見てみると,そのときの自分の感情や思考から少し距離を置いて客観的にみることができるようにもなります。
考えをしっかり整理して,概念を確定し,対応する専門用語を見つけ出して検索する,そうすることで先行研究は比較的見つかりやすくなります。このプロセスのために,ゼミの時間を活用してください。
また,このようにしっかり考えてもなお,自分のしたいことと100%マッチする先行研究は,出てはこないでしょう。自分と完全に同じ考え方をする先人がいる,というのはやはりあり得ないことです。大事なのは,初めての研究,一回の研究で自分の問題関心の全てが一気に解決することはない,と理解することです。自分の考えている内容の,ある側面については先行研究Aで検証できるし,別の側面については先行研究Bで,また別の側面から先行研究C,Dで・・・という部分的な検証法がみつかるだけで,卒業研究ではそのどれか1つを選び出して実践するしかありません。これら全てをやりたいのであれば,大学院に進学し,博士課程を経て生涯をかけてその問題に取り組んでください。たとえテーマが「浮気」であったとしても,ずっと考え続けていると世界の最先端に辿り着くことができます。そこまでできなくても,今回はその第一歩ですから,先行研究を追試してみましょう,というところから始めるしかありません。
また,先行研究の追試といっても,同じ結果が出るとは限りません。特に心理学の研究は再現性が低いことでも有名で,再現できるのは約3割ぐらいともいわれています。というのも,同じ人を全く同じ状況・環境で追試できないので,概念的あるいは本質的には同じ形式の研究をするしかできないからです(これは心理学が科学としてダメなのだ,ということではなく,物理学などと比較にならないほど複雑で困難な対象を研究しようとしているからでしょう。科学の力をもってしてもまだまだ先が遠い,と考えれば良いと思います)。そうなると当然,かなり効果量の大きな,頑健な結果でないと再現できないことになります。再現できなかった場合は,何が悪かったのか,先行研究が悪かったのか,自分の研究が悪かったのか,いろいろ考えて工夫することになります。つまり追試といっても簡単なことではないのです。しかし,ここで追試の結果が再現できなかったからといって,気落ちする必要はありません。もちろん,思った通りの結果にならなくても卒業研究が無価値で卒業できないわけでもありません。どんな結果であれ,結果は結果で意味があるのです。再現できれば頑健な事象だったことが確認できます。再現できなければ改良すべき点が見つかります。どっちにしても科学的には進歩なのです。ただ,あまりにも自分の興味関心と先行研究の適合度が低いと,そもそも研究を続けることが面白くなくなって卒論へのモチベーションが下がるので,妥協のしすぎにはご注意ください。
興味がない場合
一方おかしなことかもしれませんが,特に研究をしたいと思わない場合もあると思います。卒業はしたいけど,オリジナリティを発揮する研究者になりたいわけじゃない,というような場合です。昨今は個性があって当たり前という風潮ですが,歴史を動かすのは基本的に名もない民衆たちであり,平凡であることはそれ自体で尊重されるべきだと思います。私も特に「将来の夢」がない,という子供時代を過ごしてきましたし,全員が非凡な才能を発揮する個性溢れた人だらけなわけではないですよね。
実は,個々人が自分の研究テーマをみつけて論文を書く,というのは人文社会科学系独特の風習で,理系だと卒論は研究室のテーマに沿って与えられるものなのです。理系では,研究室に配属された学生は,教員(Principle Investigator,PI)をトップとする組織の下級兵士として下働きをするようです。卒論も,問題や方法のところは研究室共有のテーマですから基本コピペになります。物理的な現象が研究対象であれば,考察セクションもありません。事実を正しく記述すれば,それに基づいて考えたことなんかは不要,というわけです。それに比べると,文系は自分で研究テーマを考え出し,自分で調査・実験・観察を企画し,自分のテーマにあった分析を習得し,問題から考察までオリジナルで書き上げねばなりません。なんて大変なんでしょう!
言い換えると,人文社会科学系,特に心理系を卒業するということは,こうした企画・実行・総括といった1プロジェクトを完遂する能力があるということでもあります。就活の時などは,胸を張って心理系卒業者の利点を売り込んでいただきたいと思います。
閑話休題。とにかく,そうはいっても特段の研究テーマが見当たらない,という場合もあるかと思いますが,それについても気軽に教員に相談してください。その時は,こちらの方からいくつか研究テーマを提示しますので,その中から適当にチョイスしていただければと思います。オリジナルに研究を進める場合と違って,テーマだけでなく読むべき資料や身につけるべき技術などについても指示されることになりますので,面白くないなと思うこともあるかと思いますが,そこは卒業のためにやらなければならないこと,と割り切ってもらうしかありません。
ちなみにここは統計ゼミですから,分析・統計モデルを提案することになります。この分析モデルを使ってみたら,というような提案をしますので,それが何なのかを理解し,そのモデルを適用できるようなデータをとって文章化することが目的になります。いくつかの例を挙げてみましょう。
- 多次元尺度構成法およびその発展モデルを用いた研究
- 双対尺度法の確率モデルである多次元展開法,あるいは強制分類法によるデータ解析
- バイクラスタリング,ベイジアンネットワークをつかった新しい測定・可視化モデル
聞いたこともないような分析モデルの名前ばかりかと思います。これらについては本学の授業でも習ってないものばかりでしょうから,それは当然です。ただ,いずれも先行研究・文献がありますので,そうした基本的な知識を習得するところから研究はスタートします。幸いこれらのモデルはRで利用できるパッケージがありますから,仕組みがわかればすぐに試してみることができます。それにしても,パッケージや関数の使い方はもちろん,数字の意味,オプションの意味などを理解しなければなりませんから,マニュアルなどを読む努力が必要です。ともかくこの分析モデルがどういうものかわかった,分析できそうだとなったら,分析に使えるデータを集めなければなりません。その辺りの苦労・工夫はカットできませんが,比較的自由にデータを選ぶことはできそうです。
「自分でデータを取るのが嫌だ」ということもあるかもしれません。目的があって,それに沿った方法を取るのが研究の基本ですから,方法論から目的を選ぶのは本末転倒ですが,現実的にはそういうこともあるでしょう。そのような場合は,すでに集められたデータやネットにストックされているデータ(OSFなど)をつかった分析をすることもできます。また,国立情報学研究所(Nii)の情報学研究レポジトリ(https://www.nii.ac.jp/dsc/idr/datalist.html)には面白そうなデータセットがたくさんあります。これはゼミ単位で契約書を交えることでデータを使わせてもらえるので,面白そうなデータがあるからとりあえず分析してなんとかしたい,というところから始める研究があってもいいでしょう。利用に際しては,遠慮なく小杉に声をかけてください。
いずれにせよ,教員に与えられたテーマを指示通りにやるとか,既存のデータを分析するというのは,創造的な要素を必要としないという意味では楽です。一方で,何をやっているか自分で理解しておく必要はありますし,与えられるものに興味がなければ楽しめないかもしれません。自分でデータを取る記述を学ぶチャンスがないともいえます。いずれにせよ,楽しくなければ,続けていくのが苦痛になることもありますから,「自分はどうしたいのか」をよくよく考えて研究に取り組みましょう。
卒論で求められていること
卒論に求められていることは,研究者の卵としての潜在的な能力です。潜在的というのは,まだ一人前の研究者ではないのでその能力を持っていそうだと思われればOK,ということです。「持っていそうだ」と思われるためには,表に出てきたもの,すなわち卒論や卒論に基づく発表に「研究の面白さ」や「自分の研究の長所」が含まれており,かつ客観的にみた「自分の研究の限界」や「業界における自分の研究の位置付け」がしっかりと現れていることが必要です。前者は価値観と研究的態度が内在化できてるかどうかであり,後者は研究手続や論文内容に関わる評価次元です。
研究をやったんだけど,私は何をやったんでしょう?私の研究って何が面白いんでしょう?と質問するようでは合格できません。自分の研究は面白い,自分の研究でこれがわかったと言える,ということを理解している必要があります。同時に,卒論で全ての問題を解決することなんてできませんから,自分の研究には何が足りていないのか,あるいはこれまで同じ領域で研究されてきたことと自分のやったことはどういう関係があるのかを,卒論を書いた本人がわかっていなければなりません。卒論発表会は口述試験でもありますが,そこで私は必ず「研究は面白かったですか」と尋ねます。面白くなかったのであれば,もっと研究を続けるチャンスを与えますので,安心してください。
ちなみに,卒論では研究テーマや分析方法について,自分がやったことはしっかりと理解している必要があります。理解の程度は質疑のやり取りで測られますから,口述試験でうまく回答できないとダメなわけです。修論では,扱った領域についての専門家の端くれになりますから,学会などで他の専門家と対峙しても受け答えができるレベルでなければなりません。修論やその上の博論にまでなると,基本的に指導教員よりも当該領域については深く理解しているレベルである必要があります。指導教員は自らの専門性とそれがより広い視野で見たときにどのように位置付けられるかを理解していますから,指導学生の研究の位置付けは見積もれると思いますが,その内容の深さについては本人が世界レベルの第一人者であるべきなのです。
ちなみに本学での卒論の評価は,卒論発表会のあと,指導教員以外のもう一名以上の心理系教員に査読され,協議の上採点,会議を経て承認という手順になっています。最後の会議で特に優秀な卒業論文には,優秀論文賞が授与されます。